ハイビスカスと沖縄

2016年、2年前の今日、沖縄県うるま市の20歳の女性が、元米海兵隊軍属の男性に暴行殺害される事件が起こりました。自宅からウォーキングに出かけていて、被害に遭われたのです。

私は同年11月に恩納村の現場に行き、手を合わせました。その時に聞いたお話をさせてください。

ご遺体が発見された林に向かい献花台が置かれ、その上にはたくさんのお花やペットボトルの飲み物が供えられ、一人の男性が、それらを丁寧に手入れされていました。お話をうかがうと、金武町の元町長で今は県の政策調整監の、吉田勝廣さんでした。

“行政が無力で現状を変えられないからこのような事件が今も
起こる。自分はせめてこうしてここに通い続けたい”

“人は新たな事件が起こると前に起こったことを忘れていってしまう。自分もそうだ。でもこの数日、特にたくさんの人が来てくれたんですよ”

慣れた様子でお花の水を変える吉田さんの手には、1輪のハイビスカスが。

“ハイビスカスは本当は供花なんですよ”

南の島の明るいイメージ、沖縄の象徴のように私が思っていた花は、沖縄の人たちにとっては別の意味合いを持っていたのです。

この場所に来る時、その1歩1歩が重く、それでもカメラを持ってきている自分は何なんだろうと思っていました。けれどお話を聞いて、1枚だけと決めて、撮らせていただきました。これまでで一番重いシャッターでした。
シャッターを切る瞬間、うつむいていたハイビスカスの花が、風に揺れてほんの少し、顔を上げてくれたように感じました。

事件から2年。今日も多くの方が献花台を訪れているそうです。吉田さんと、お孫さんたちも。
奪われたのはひとつの命、そして一つの日常でした。彼女の名前を忘れないでいよう、とあのハイビスカスを見た時から、思っています。

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「沖縄から、伝えたいこと」は、石垣島に半年間生活の場を移した TWFFの蔵原実花子が見聞きし、感じた「沖縄」を発信していくシリーズです。どうぞよろしくお願いいたします。