仕事から戻ると、部屋のテーブルの上に何か置いてある。それは与那国にどうしても届けなければならない大切なもの。身体は疲れているけれど、いま持っていかなければ。バイクで5時間くらいで行ける。よし、行こう!
・・これは与那国から石垣に戻って1週間後に見た夢です。ふたつの島はもちろん陸つづきではないし、船でも4時間以上かかるし、そもそも私はバイクの運転はできない・・嘘ばっかりの情報ですが、あくまでも「夢」の話なのでご了承ください。ところでこのテーブルの上にあったものとは何だったのでしょう。それが私にもわからないのです。
与那国島は別名「どぅなん」または「どなん」と言います。「渡難」が語源だと言われ、そこからも地理的な特徴がよくわかります。
明応10年(1501年、室町時代)に琉球王朝の支配下に入るまでは、他国の支配を受けず、独立した比較的豊かで自由な生活であったとされています。
与那国に移住した経験を持つ方に石垣で会った時、「与那“国”と言うだけあって、ひとつの国のような独立した個性がある」と伺ったのですが、確かに他の沖縄(全ての島に行ったわけではないけれど)と比べても違ったものを感じます。崖の多い地形、内海はエメラルドグリーンのあたたかく優しい印象ですが、外海は深い青で大きな波が立っています。気候がまるで違うのに、映像などで見るアイルランドやスコットランドの風景に似ている気がしました。
小さな島とはいえ、北の祖納、西の久部良(日本最西端の碑があります)、南の比川という3つの集落の外には雄大な自然が広がり、人のいる場所とそうでない場所では別の時間の流れがあるように感じます。
久部良で自転車を借り、比川まで走った時のこと。
右手はダイナミックな崖と海の景色、左は緩やかな山。コンクリートで舗装された車道でありながら、この南牧場線では車よりも優先される存在があります。与那国馬です。島で飼育されてきた在来馬で与那国町指定天然記念物。3月に天皇陛下がこの島にいらした際の映像が記憶に新しいかと思います。
馬たちは道路であれ、実にマイペースにです。車はあまり通らなかったけれど、それでも時に馬待ちの小さな渋滞が起こったり。最も観光客はその状況を楽しんでいるようでした。
この広大な南牧場(どこからどこまでがそうだったのか最後までわかりませんでしたが)の中に自衛隊の駐屯地が建てられたのですが、その入り口に差し掛かった所で馬の群れが駐屯地に入って行くのを見ました。何ともおかしな光景でしたが、よく見ると子馬が迷い込むところを大人の馬たちがたしなめているようです。少なくとも私にはそのように見え、驚きました。人が馬に譲り、馬も人に譲る。
さらに比川方面に進むと、道路の真ん中に、一頭の馬がいました。写真を撮ろうと自転車を止めて正面に立ちます。馬はこちらに気づいていますが、逃げません。いい構図を探そうとしばらくそこにいるうちに、ふと思いました。私が見ている以上に、馬は私を見ているのではないか。それからしばらく手を止めて馬と正対してみました。
強い波と風の音が聞こえていましたが、一方でそれは無になり、時間の概念が消えたような気がしました。ただ、ふたつの存在があるだけ。
あの時、馬は何を思っていたのでしょう。言葉を交わせたらいいなと思いながら、やはりわからないでいた方が良い気もします。
沖縄では“マブイ(魂)を落とす”という言い方があります。さすがにその表現は大きすぎますが、私は与那国島に何か忘れ物をして来たのかもしれません。あるいは知らず知らず何かを持って帰ってきたのかも。いつか返しに行く時が来るのでしょうか。
その時はもちろん、バイクではなく、船か飛行機で。
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「沖縄から、伝えたいこと」は、石垣島に半年間生活の場を移したTWFFの蔵原実花子が見聞きし、感じた「沖縄」を発信していくシリーズです。どうぞよろしくお願いいたします。